スティーヴン・ハーパー
| スティーヴン・ハーパー Stephen Joseph Harper |
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| 任期: | 2006年2月7日 – 現職 |
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| 出生: | 1959年4月30日(53歳) |
| 政党: | カナダ保守党 |
| 配偶者: | Laureen Harper |
スティーヴン・ハーパー(The Right Honourable Stephen Harper,氏名 Stephen Joseph Harper, 1959年4月30日 - )は、カナダの政治家。オンタリオ州トロント、アルバータ州カルガリー出身。
2011年現在、第28代のカナダ首相(22人目)、カナダ保守党の党首を務める。2006年2月6日に、カナダ総督ミカエル・ジャンにより首相に指名された。庶民院議員でもあり、1993年から1997年はアルバータ州のカルガリー西選挙区から、2002年以降はカルガリー南西選挙区から選出されている。カナダの礼式により、閣下 (The Right Honourable) の敬称をつけて呼ばれる(カナダだけではなく、イギリスなどのイギリス連邦各国の首相には、この敬称が付けられる)。
目次 |
[編集] 来歴
トロント生まれ。3人兄弟の長男。父親のジョセフはエクソンモービル系石油会社インペリアル・オイルに勤務する会計士であった。トロント大学へ進学したが2ヶ月で中途退学し、父親の勤めるインペリアル・オイル社のメール室で勤務する。その後同社のコンピューター部門へ異動する。大学へ戻り、カルガリー大学へ進学。カルガリー大学で経済学を専攻し卒業する。その後大学院へ進学し、1993年にカルガリー大学大学院で経済学修士号を取得する。
ハーパーは改革党の創設メンバーの一人で、議員の最初の任期を終えたあとは、圧力団体である全国市民連合の代表となった。2002年にストックウェル・デイの後任として、カナダ同盟の党首となって国政に復帰し、2003年にはカナダ進歩保守党のピーター・マッケイと、カナダ同盟と進歩保守党が合併しカナダ保守党を結成することで合意。2004年3月にこの新しい党の初代党首に選出された。2006年1月の総選挙で勝利し、少数与党ながら政権の座に着いた。2008年10月の総選挙では、議席数を伸ばし第一党の座を維持したが過半数を確保することは出来ず、引き続き少数与党として政権を運営することとなった。
カナダ自由党政権時代にイラク戦争やミサイル防衛を巡ってぎくしゃくしがちだった対米関係の改善を標榜し、ブッシュ政権との関係を大幅に改善した。
財政状況が苦しい中、景気刺激策のため法人税減税を表明したことや、またアメリカより購入する戦闘機が高額なことが野党の反発を招き、2011年3月25日に不信任案を可決された。これに対し、ハーパー首相は翌26日に下院を解散、5月2日に総選挙が行われることになった[1]。総選挙では与党保守党は大方の予想に反し、過半数155議席を大きく上回る議席を獲得した[2]。
2012年3月24日から26日にかけて来日し、25日には野田佳彦首相と会談した。安全保障分野や貿易について、意見交換を行った[3]。経済連携協定(EPA)締結に向けた交渉に入ることで合意した[4]。
[編集] 政治姿勢
近年、世界の政治、経済における中国の影響力が増大してくるにつれ、西側の指導者に中国の人権問題への批判を控える傾向がみられる中、ハーパーは中国の人権問題について強い関心を持ち、積極的に言及し中国を批判している。同時に日本の右派・保守派の慰安婦問題や南京大虐殺に関する否認主義に対しても批判的である。また2008年6月11日に、国内の先住民への同化政策(民族文化の抹殺)をはじめとする数々の差別・抑圧を謝罪し、二度とあってはならない歴史であると述べた[5]。
[編集] 参照
- ^ “カナダ総選挙は5月2日に実施=ハーパー首相”. ロイター通信. (2011年3月28日) 2011年11月23日閲覧。
- ^ “カナダ総選挙で与党保守党が過半数を獲得、予想上回る勝利”. ロイター通信. (2011年5月3日) 2011年11月23日閲覧。
- ^ “スティーブン・ハーパー・カナダ首相の来日”. 外務省. 2012年3月31日閲覧。
- ^ “EPA交渉入りで合意、日加首脳会談”. AFPBB News. (2012年3月25日)
- ^ カナダ政府、同化政策の誤り認め先住民に公式謝罪
[編集] 外部リンク
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