スルト (リビア)
| スルト سرت |
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| 愛称:Al-Ribāţ Al-'amāmi (الرباط الأمامي) | |
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| 座標: 北緯31度12分 東経16度36分 / 北緯31.2度 東経16.6度 | |
| 国 | |
| 県 | スルト県 |
| 標高 | 28m (92ft) |
| 人口 (2009) | |
| - 計 | 135,451人 |
スルト(Sirt、シルト、シルテとも)は、リビアの都市。人口135,451人(2009年)。
[編集] 概要
シドラ湾沿岸に位置し、トリポリタニア東端の都市である。スルト県の県都。トリポリとベンガジを結ぶ幹線沿いに位置し、さらにここからフェザーンの中心都市であるセブハへの道路も分岐する要衝である。
1942年にムアンマル・カッザーフィーがここで生まれた。
カッザーフィーが1969年のクーデターにより権力を握ると、カッザーフィーは自らの親族や出身部族のカッザーファ部族から積極的に登用を行ったため、スルトはカッザーフィー政権の強固な支持基盤となった。カッザーフィーの根拠地であると同時にトリポリタニアに属するとはいえ中心からは遠く離れており、リビアを構成するトリポリタニア・キレナイカ・フェザーンの三地方からほぼ等距離にあるため、テント型の巨大な国際会議場ワガドゥグー・コンベンションセンターが建設され、行政機関や全国人民会議(国会に相当)等がこの町に移されるようになった。2007年10月にはダルフール紛争の講和会議がスルトで開催された[1]。
2011年リビア内戦においては、スルトはカッザーフィー体制支持の姿勢を打ち出し、市民による反政府蜂起は起こらず[2]、8月23日に首都トリポリが陥落し、カッザーフィー政権が事実上崩壊した後も、カッザーフィー派が立てこもり抗戦の拠点とした。降伏を促す勝利したリビア国民評議会(反カッザーフィー派)の投降勧告にも応じなかったため、スルトでは両派による激しい市街戦が起こった。2011年10月20日、リビア国民評議会がスルトを制圧すると同時に、カッザーフィーを拘束(後に死亡)したことにより、内戦は幕を降ろすこととなった[3]。
現在内戦は一応の終結を見たものの、スルトはリビア内戦で最大の激戦地となった事に加え、カッザーフィーを最後まで支持し、匿っていた事から新政府による復興支援の優先度は高いとは言えず、復興は進んでいない状況である。
[編集] 脚注
- ^ "Sudan calls Darfur truce at talks", BBC News, 27 October 2007
- ^ BBC News (24 February 2011) "Libya protests: 'Gaddafi says Bin Laden to blame'"
- ^ リビア国民評議会が「解放宣言」へ、国民に結束呼び掛け ロイター・ジャパン 2011年10月21日閲覧