野田佳彦
|
のだ よしひこ
|
|
|---|---|
| 生年月日 | 1957年5月20日(55歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 早稲田大学政治経済学部 |
| 所属政党 | (無所属→) (日本新党→) (新進党→) (無所属→) (民主党) |
| 称号 | 学士(早稲田大学・1980年) |
| 公式サイト | 衆議院議員 野田よしひこ |
|
|
|
| 内閣 | 野田内閣 野田改造内閣 |
| 任期 | 2011年9月2日 - 現職 |
| 天皇 | 今上天皇(明仁) |
|
|
|
| 内閣 | 菅内閣 菅第1次改造内閣 菅第2次改造内閣 |
| 任期 | 2010年6月8日 - 2011年9月2日 |
|
|
|
| 選挙区 | (旧千葉県第1区→) 千葉県第4区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 任期 | 1993年7月19日 - 1996年9月27日 2000年6月26日 - 現職 |
|
|
|
| 選挙区 | 船橋市選挙区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 1987年4月23日 - 1993年7月5日 |
野田 佳彦(のだ よしひこ、1957年(昭和32年)5月20日 - )は日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(5期)、内閣総理大臣(第95代)、民主党代表(第9代)。
千葉県議会議員(2期)、民主党国会対策委員長(第7・10代)、花斉会会長(初代)、財務副大臣、財務大臣(第14代)などを歴任した。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
千葉県船橋市出身。父は富山県の農家の6人兄弟の末っ子として生まれ、陸上自衛隊習志野駐屯地に所属した自衛官[1][2][3]。母は千葉県の農家の11人兄弟の末っ子だった[3]。
3歳半の時、当時日本社会党委員長であった浅沼稲次郎が死亡した浅沼稲次郎暗殺事件を知り、初めて政治家を意識した。保育園に通っていたときには、ジョン・F・ケネディ暗殺が起き、政治家は命懸けの仕事なのだと幼児期には固く信じていた[2]。
[編集] 学生時代
船橋市立薬円台小学校、船橋市立二宮中学校と進み、1976年(昭和51年)3月、千葉県立船橋高等学校を卒業[4]。
県立船橋高校では柔道部に所属[5]。1976年(昭和51年)4月、早稲田大学政治経済学部政治学科に現役で入学。立花隆に憧れ、ジャーナリストを志していた[2]。在学中は新自由クラブでボランティア活動をしていた[5]。1980年(昭和55年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。
松下幸之助が設立したばかりの松下政経塾に第1期生として入塾した。
野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終面接を鮮烈に覚えています。笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。」「『キミの身内に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。ところでキミの家は金持ちか?』『どちらかというと貧乏です』『なお、エエな』何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。が、こうして、政経塾で5年間、あるべき政治の姿を学ぶことになりました[2]。」と当時について回想している。
[編集] 政界入り
家庭教師や都市ガスの点検員等、様々な仕事の経験を経て[6]、1987年(昭和62年)に千葉県議会議員選挙に千葉県内一の激戦区である船橋市から立候補した。選挙資金はカンパによる500万円、運動員は20代のボランティア約50人だけであったにもかかわらず、「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選した[7]。千葉県議は2期務めた。
[編集] 国政へ
1992年(平成4年)に松下政経塾の評議員の1人だった元熊本県知事の細川護煕の下で日本新党の結党に参加した。翌年の1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙に旧千葉県第1区から出馬して、当選を果たした。この総選挙では日本新党ほか新生党、新党さきがけが党勢を拡大して自由民主党を過半数割れに追い込み、8党派の細川連立政権が誕生した。日本新党所属の野田も細川内閣を支えるが、国民福祉税構想の頓挫や佐川急便からの1億円借り入れ疑惑で窮地に陥った細川首相は1994年(平成6年)4月に突如辞意を表明して、8ヶ月で退陣。続く羽田内閣も日本社会党の連立離脱により少数与党に転落して、非自民連立政権は10ヶ月で幕を下ろした。同年末、新進党結党に参加した。衆院議員になった1993年(平成5年)夏、地元の千葉県に松下政経塾の地域政経塾である千葉政経塾を地元の有志たちと共に設立した[8]。
小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では千葉県第4区から出馬するが、自民党の田中昭一に105票差という、1996年(平成8年)以降の衆議院議員選挙の選挙区での最小記録で敗北(田中昭一:73,792票、野田佳彦:73,687票、惜敗率:99.85 %)した。小選挙区での対抗馬が当時首相の橋本龍太郎であった加藤六月のような例外を除き、新進党は重複立候補を認めていなかったため、落選した。落選後に新進党を離党し、民主党に入党した。約4年間の浪人時代は中小・零細企業の経営者たちのカンパに支えられたという[4]。
2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、民主党公認で千葉4区から出馬して当選した。4年ぶりに国政復帰を果たした。同年、民主党総務局長に就任した。翌年の2001年(平成13年)の民主党次の内閣でネクスト行政改革・規制改革担当大臣に就任する。
2002年(平成14年)の民主党代表選挙に際しては、菅直人・鳩山由紀夫の二枚看板(所謂「鳩菅体制」)に危機感を覚える前原誠司、松沢成文、河村たかしなどの中堅・若手議員で「第二期民主党をつくる有志の会」を結成した。9月の代表選に前原と野田のどちらを擁立するかで調整が難航したが、中堅・若手議員を代表する形で野田の出馬に落ち着いた。鳩山代表の3選は阻止できず落選したが、選挙戦を通じて党内での知名度を高めた。その後、鳩山代表から政策調査会長就任を要請されるが、鳩山を支持するために代表選出馬を取り止めた中野寛成の幹事長就任を「論功行賞」と批判し、就任を固辞した。
2002年(平成14年)12月に民主党国会対策委員長に(2003年(平成15年)11月まで)就任。2004年(平成16年)には次の内閣財務大臣に就任(2005年(平成17年)9月まで)して、党の要職を歴任する。
2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では千葉4区で自民党の藤田幹雄の猛追を受けるが、944票差で藤田を破り、4期目の当選を果たす。なおこの選挙で、千葉県内の小選挙区で当選を果たした民主党議員は野田ただ1人であった。
[編集] 堀江メール問題での失脚
「堀江メール問題」も参照
2005年(平成17年)の総選挙で惨敗した民主党は敗北の責任を取って辞任した岡田克也代表の後任に前原誠司を選出して、野田は前原執行部で再度国会対策委員長に就任した。しかし、2006年(平成18年)2月に永田寿康が引き起こしたライブドア元社長の堀江貴文の総選挙出馬をめぐる堀江メール問題では、当初このメールの信憑性をうたがわず永田を擁護する対応をとったため国対委員長を引責辞任した(のちに前原も民主党代表を辞任)。なお、このメール問題について2008年(平成20年)に刊行された民主党秘書らによる『民主党10年史』(第一書林)では「普通の企業なら当然そなわっている危機管理と統治能力がなかった」 、「党執行部の仲良しグループ化が生んだ情報囲い込み」が原因だったと指摘された。また馬淵澄夫によれば、国対委員長を辞任した野田と神楽坂のバーで飲んだ際、野田は「いやー、いろいろあったけど墓場まで持っていくしかねぇな」と話したという[9]。
国対委員長辞任後は科学技術政策ワーキングチームの座長として宇宙の軍事利用の検討を行い、防衛目的の利用はできないという従来の政府解釈を転換し、非侵略での宇宙利用を容認する「宇宙条約」の締結を進める方針や「宇宙庁」の設置を主張した[10][11]。
2007年(平成19年)11月から2008年(平成20年)4月まで国土審議会委員を務めた[12][13]。
2008年(平成20年)8月に「本当の二大政党なら政策論争をしないと意味がない」と主張して、民主党代表選への出馬をあきらかにしたが、幹部の松本剛明に強く自制を求められるなどみずからのグループをまとめきれず[14]、さらに安住淳国対委員長代理(当時)からいわゆる偽メール問題の責任を挙げられ自省を迫られるなど[15]、推薦人(20人)確保のめどが立たず、出馬を断念した。これにより、小沢一郎代表体制の継続が事実上決まった。これについて2008年(平成20年)9月7日放送の読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』で立候補を断念した経緯を語った。またこの出馬断念に反発した馬淵澄夫がグループを脱会した[16]。2009年(平成21年)5月の小沢代表辞任に伴う後継選挙では岡田克也を支援したが、岡田は鳩山由紀夫に敗北。ただ、岡田が鳩山代表のもとで幹事長に就任すると幹事長代理として執行部入りし、復権を果たした。
[編集] 鳩山内閣
同年9月の鳩山由紀夫内閣の成立にともない防衛大臣就任が取り沙汰されたが、近著で集団的自衛権の行使を主張していることから、党内や連立政権での意見対立を刺激することが懸念されたため野田の防衛相就任は見送られたものの、その手腕を高く評価していた藤井裕久財務相の意向により、財務副大臣に就任。2010年(平成22年)1月に藤井が健康上の問題を理由に辞任すると、後任候補の1人として名前が上がり[17]、藤井も野田を後任に推薦する意向だった[18]が、菅直人副総理が国家戦略担当大臣から横滑りする形で副総理兼財務相に就任し、野田の財務相昇格案は見送られた。
[編集] 菅内閣
2010年(平成22年)6月に鳩山が代表・首相辞任を表明して、6月8日に鳩山内閣は総辞職した。後継代表・首相には菅副総理兼財務相が就任して、菅内閣の財務相には野田が副大臣から昇格する形で就任することとなった。初入閣での財務相就任は初めての例であり、戦後の大蔵大臣時代を含めても比較的異例である。
同年8月20日、為替動向について記者会見で「重大な関心をもって注意深くみていく」と述べる一方、為替介入についてはコメントを避けた[19]。9月8日、円高について衆院財務金融委員会での答弁で「明らかに一方的に偏っている」とし、「必要なときには為替介入をふくむ断固たる措置をとる」「産業の空洞化にもつながりかねないということで、強い懸念をもっている」と述べた[20]。9月15日、政府・日本銀行が「円売りドル買い」の為替介入に踏み切ったことを発表。この介入により1ドル=82円台から1ドル=85円台に急落した[21]。10月8日、1ドル=81円台に上昇したことを受け「より一層重大な関心を持ってマーケットの動向を注視し、必要なときには介入を含めて断固たる措置をとるという姿勢に変わりはない」と述べた[22]。また同日ワシントンで開かれた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)では為替介入について「批判的な意見は出なかった」と説明した[23] 。
2010年(平成22年)9月に発足した菅改造内閣でも財務相に留任。2011年(平成23年)1月の内閣改造に際しては内閣官房長官への横滑りも取り沙汰されたが、野田が財務相続投を強く希望したため、菅再改造内閣でも留任した。
スタンダード&プアーズによる米国債の格下げに伴い、2011年(平成23年)8月8日に行われたG7電話会談では、「米国債への信頼は揺るがないし、魅力ある商品だと思う」と述べ、円高に対してはマーケットの動向を注視すると述べた[24]。
[編集] 民主党代表選挙
2011年(平成23年)6月9日、菅直人首相の退陣表明を受けて仙谷由人民主党代表代行や岡田克也党幹事長らは民主党代表選挙に野田を擁立する方向で調整[25]。朝日新聞(2011年(平成23年)6月9日付)が1面トップでポスト菅の「本命」と報じ、夕刊の各全国紙が後追いした。野田は8月10日の文藝春秋で「時機が来れば、私は、先頭に立つ覚悟です」と党代表選への出馬に意欲を示し[26]、同日の記者会見では「脱小沢」路線は見直すべきとの考えを示した[27]。8月23日、代表選での連携を期待していた[28]前原誠司が立候補の意向を示した。
野田は8月26日に立候補を表明して、原発事故収束を優先事項に挙げる。また自身は脱原発依存の立場であり、原発は新設しないことを表明した[29]。朝日新聞が8月26日に発表した「次期首相にだれがふさわしいか」の世論調査の結果では、原口一博に次ぐ4位となった[30]。同26日には小沢一郎元代表の支持を受けた[31]海江田万里経済産業大臣が立候補を表明[32]。代表選には史上最多となる野田・前原誠司前外務大臣・海江田経産大臣・鹿野道彦農林水産大臣・馬淵澄夫前国土交通大臣の5人が立候補する形となった。
2011年(平成23年)8月29日に施行された代表選挙では、第1回目の投票で海江田の143票に次ぐ102票を獲得[33]。過半数を獲得した候補がいなかったため決選投票となり、小沢への批判票を集めた野田が215票を獲得して177票を獲得した海江田を逆転し、第9代民主党代表に選出された[34]。
投票前に行われた、いわゆる「ドジョウ演説」では、ジョークや相田みつをの詩を交えつつ、政治に「夢、志、人情」を取り戻すことを訴えた[35]。 落語家の三遊亭楽春は「落語にドジョウは出てくるが主役じゃない。野田さんは華はないけど実直で安心感はある」とドジョウ演説を評価した一方で、政治評論家の有馬晴海は「『ドジョウ政治』と言っても何をしたいのか分からない。もっと自分の生活から絞り出てくる言葉がほしい」と批判した[36]。
党首選挙に於ける決選投票での逆転当選は、1956年12月自由民主党総裁選挙での石橋湛山以来55年振りで、民主党では初めてとなった[37]。
[編集] 野田内閣
民主党代表選出後の8月30日、菅再改造内閣の総辞職を受け衆参両院で行われた首班指名選挙において、第95代内閣総理大臣に指名された[38]。9月2日に天皇による親任式を経て正式に就任し、民主党と国民新党の連立による野田内閣が発足した[39]。55年体制以降では、自民党に所属したことがなく、かつ自民党とともに政権与党に参与したことのない、初めての総理大臣である。[要出典]2011年(平成23年)10月7日に政府は臨時閣議で東日本大震災の復興事業を盛り込んだ第三次補正予算案を閣議決定して、野田は東日本大震災復興対策本部で予算案の早期成立に向けて野党の意見を取り入れる姿勢を示した[40]。補正予算の総額は12兆円程度で、うち震災関係経費は9兆1,000億円。財源は10年間で9兆2,000億円にのぼる臨時増税で賄うという[40]。復興財源を所得税や法人税などの臨時増税で賄うことに対して、毎日、読売、日経、朝日の各紙は「増税やむなし」との見解を社説で表明したのに対して、産経と東京の二紙は「歳出削減が第一である」と疑念を呈した[41]。
2011年(平成23年)10月19日、韓国訪問中に李明博大統領と会談を行い、日韓経済連携協定(EPA)交渉の早期再開に向け実務者協議を加速させることや、市場の不安定化に備えて両国の通貨スワップの限度額を現行の130億ドルからその5倍の700億ドルへ拡充することなどで合意した[42][43]。通貨スワップの拡大は、相互依存関係が強まっている韓国経済を安定化させることによって日本の経済成長を促し[44]、日本が通貨スワップを行使して円売り・ドル買いを行うことによって円高を抑える効果が期待できるとされている一方で[45]、日本にはメリットがほとんどないという見解もあり[46]、日本のインターネット上では「復興のための財源とすべき」「復興のために増税すると言っておきながら、理不尽だ」などという野田に対する反発の声が高まった[47]。 日韓首脳会談では同時に、植民地時代に日本に渡った朝鮮半島由来の図書5冊が引き渡され、「韓日関係が未来に向かうため象徴的意味を持っている」と李から謝意を表明された[43]。
2011年(平成23年)10月21日、野田は大洪水の被害が拡大しているタイへの支援策を早急にまとめるように閣僚に指示し、政府は船外機、仮設トイレ、ライフジャケットなど2,500万円相当の第二弾の緊急援助物資を決定した[48]。タイからは東日本大震災に際し、援助物資や義援金を受け取っており、政府はすでに緊急援助物資としてテントや浄水器など3,000万円相当、東南アジア諸国連合プラス3(ASEAN+3)の備蓄米を融通し合う制度を利用して5万ドルなどをタイに対して支出した[48]。
2011年(平成23年)12月22日、野田が議長を務める国家戦略会議において「日本再生の基本戦略」が決定され、東日本大震災からの復興に加え、アジアの成長を取込み、2011年(平成23年)度から2020年(平成32年)度の平均で国内総生産名目成長率3%程度、実質成長率2%程度を目指す国家戦略を定めた[49]。同戦略は二日後の24日に野田内閣で閣議決定された[50]。
2012年3月30日、政府は消費税率を現行の5 %から10 %まで段階的に引き上げる消費増税関連法案を閣議決定し、国会に提出した[51]。野田は、これに先立つ国会答弁で「将来不安をなくすことによって、消費や経済を活性化させることもある」などと意義を強調したが[52]、 野党時代にはこれとは逆に、増税で「日本経済が肺炎に」などと発言していたと報道された[53]。
[編集] 年譜
- 1980年(昭和55年):早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業する。松下政経塾に入塾(第1期生)。
- 1987年(昭和62年):千葉県議会議員に無所属で立候補する。当選。
- 1991年(平成3年):千葉県議会議員に無所属で立候補する。再選。
- 1993年(平成5年):第40回衆議院議員選挙に日本新党公認で出馬する。初当選(1期目)。
- 1996年(平成8年):第41回衆議院議員選挙に新進党公認で出馬したが105票差で落選する。
- 2000年(平成12年):第42回衆議院議員選挙に民主党公認で出馬する。当選(2期目)。
- 2002年(平成14年):民主党代表選挙に、第二期民主党をつくる有志の会に推され出馬するが、鳩山由紀夫に敗れる。
- 2002年(平成14年):民主党の党国会対策委員長に就任する。
- 2003年(平成15年):第43回衆議院議員選挙に民主党公認で出馬する。当選(3期目)。
- 2005年(平成17年):第44回衆議院議員選挙に民主党公認で出馬する。当選(4期目)。
- 2005年(平成17年):党国会対策委員長に2度目の就任した。
- 2006年(平成18年):党国会対策委員長を引責辞任する。
- 2007年(平成19年):党広報委員長に就任する。
- 2009年(平成21年):第45回衆議院議員選挙に民主党公認で出馬する。当選(5期目)。
- 2009年(平成21年):鳩山由紀夫内閣で財務副大臣に就任する。
- 2010年(平成22年):菅直人内閣で財務大臣に昇格就任する。初入閣。
- 2011年(平成23年):民主党代表及び内閣総理大臣に就任する。
[編集] 政策・主張
- 主に松下政経塾出身者の若手議員を中心とした「野田グループ」の領袖である。
- 沖ノ鳥島が領土であることを批判した唐家璇中国国務委員(副首相級)に対し、「南沙諸島を実効支配している貴国にとやかく言われる筋合いはない」と述べた。更に、尖閣諸島に中国人活動家が上陸した折、日本の領土であることを確認する国会決議を提案したことがあり、一貫して中国脅威論を主張する。
- 小泉純一郎首相の靖国神社参拝が論争となっていた当時、民主党内ではA級戦犯合祀を理由に参拝を批判する見解が多かったが、2005年(平成17年)10月17日提出の質問主意書で「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない。戦争犯罪人が合祀されていることを理由に首相の靖国神社参拝に反対する論理は破綻しているが、小泉総理の見解ではその論理を反駁できない」、「参拝の是非は国際政治的な利害を踏まえてなされるべきもので、誤ったA級戦犯理解に基づく是非論はA級戦犯とされた人々の人権侵害であり、人権と国家の名誉に関わる問題である」「東京裁判を受諾したという政府や外交当局の見解によれば、裁判における南京大虐殺20数万や日本のソ連侵略といった虚構も含め、日本が満州事変以降一貫して侵略戦争を行って来たという解釈を受け入れることになってしまう」と、保守派の立場をとった[54]。
- 「安全保障基本法」「緊急事態法」の制定を主張している。
- 鳩山由紀夫内閣における永住外国人への地方選挙権付与(外国人参政権)については「今、法案を出して、党内をばらばらにする必要はない。政府提案であっても、議員提案であっても、出すべきではない」と述べ、慎重な姿勢を示し、自身の外国人参政権に対する姿勢については「明確に反対だ。外国人が、帰化の手続きを簡略にできるようにすればいい」と述べている[55]。
- 経済政策では、与謝野馨らと並んで財政再建派・増税派の代表格とされる。東日本大震災の復興財源を賄うための臨時増税を示唆している[56]。
- 2009年(平成21年)7月14日の衆議院本会議で、「25000人の国家公務員OBが、4500の法人に天下りをし、その4500法人に12兆円1000億円の血税が流れていることがわかりました。これだけの税金に一言で言えばシロアリが群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければならないのです」と述べて、天下りの根絶を主張している。さらに、衆議院議員総選挙公示目前の2009年8月15日には、「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方であります」と大阪府堺市で演説している[57]。
- 大連立推進論者である。自民党、公明党との大連立に関し「101回でもプロポーズしていきたい」と意欲を示している[58]。
- TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)推進論者である[59]。
[編集] 人物
[編集] 人柄、性格、趣味など
- 身長173cm、体重79kg。血液型はB型。尊敬する人物は松下幸之助とロバート・ケネディ。座右の銘は松下政経塾の「五誓」の一つである「素志貫徹(成功の要諦は成功するまで続けるところにある)」。政治信条はケネディの「アイデアリズム・ウイズアウト・イリュージョン(幻想なき理想主義)」[4]。
- 性格は温厚で低姿勢と評される事が多い[60][61][62]。
- 趣味は格闘技観戦。小学生の時にキックボクシングの沢村忠に握手してもらい感動したという[4]。最強と考えるプロレスラーはジャンボ鶴田。政治の場でも格闘技用語を使い、2002年(平成14年)の民主党代表選のキャッチフレーズは「ドスンパンチ」、2003年(平成15年)には小泉純一郎首相の答弁を「ヒットアンドアウェーというよりアウェーアンドアウェー」と表現した[4]。柔道2段の有段者で、田村亮子と写った写真を議員会館自室に飾っている。田村について「政治家としての行動は違うが、柔道家としては好き」と語っている[4]。超党派で作る格闘技振興議員連盟の会長を務めている。本人曰く柔道でも政治でも寝技は苦手。
- 好物はラーメンと日本酒[63]。酒豪だが高級バーをはしごするタイプではなく、庶民的な店がほとんどだという[4]。カラオケの十八番は「柳ヶ瀬ブルース」「思えば遠くへ来たもんだ」など。
- 2011年(平成23年)10月の資産公開で、野田の資産は1,774万円(千葉県船橋市の自宅の土地・建物計1,514万円、定期預金260万円)で、家族分も公開対象となった1989年(平成元年)以降、首相の就任時では過去最少となった[64][65][66]。
[編集] 政治家として
- 駅前で通勤する人々に政策を訴える「朝立ち」を1986年(昭和61年)10月から2010年(平成22年)に財務相に就任する前日まで24年間続け、「駅前留学はNOVA、駅前演説はNODA」と自ら称した[67] 。
- 財政政策にブレが少なくあまり省議に口を挟まないことから、財務省内では「仕えやすい上司」との評価が定着。演説の上手さにも定評がある[4]。
- 財務省ではたばこ増税に取り組んだが、自身は1日2箱の愛煙家で、「(増税は)切ないテーマ」と認めた[68]。2011年(平成23年)7月、東日本大震災の復興財源の税目として更なるたばこ増税が議論になった際に、当時財務相であった野田は、税制を使った「オヤジ狩りみたいなもの」だと反発した[69]。
- 第162回通常国会における2005年(平成17年)1月21日の小泉純一郎首相による施政方針演説の中で、凶弾に倒れながらも「男子の本懐」と漏らした濱口雄幸首相を小泉が自らになぞらえたことに対して、1月25日の代表質問の場において、狙撃後も命をかけて国会に出席し説明責任を果たしたことが浜口の真骨頂であり、ぼかして逃げるあなた(小泉)とは違うと批判した[70]。
- 日本大学政治学教授岩井奉信は、党の内外や官僚と敵対しない温厚なタイプと野田を評した[60]。
[編集] 不祥事・問題を指摘された言動
[編集] 政治資金問題
- 過去に脱税事件で起訴された男性が関係する会社から、2007年(平成19年)6月に政治資金パーティーを行った際に40万円ずつ(計・80万円)のパーティー券を購入したことが判明した[71]。この男性の関係する会社は前原誠司外相、蓮舫行政刷新担当相、渡辺喜美(みんなの党代表)の政治資金問題にも関与していたことが明らかになっている[72]。自民党の西田昌司参議院議員は2011年(平成23年)6月3日の参議院予算委員会でこの問題を取り上げ、質問を行った[73]。
- 2011年(平成23年)1月20日に朝日新聞社が調べたところによると、関係政治団体「野田よしひこ後援会」が、2009年(平成21年)にクラブやスナックで支出した飲食費合計22万2500円を政治資金の交際費として支出したと、政治資金収支報告書に記載しており、野田の事務所は1月19日付で、報告書から削除した。この問題について、同事務所は「女性が接客する店の代金は、政治家の政治活動にはあたらない、と判断したので削除した」と説明した[74]。
- 2011年(平成23年)6月11日にJNNが取材したところ、法人税1億数千万円を脱税していた容疑のあるソフト開発会社から「民主党千葉県第4区総支部」に2003年(平成15年)、2005年(平成17年)の2年間で計50万円の企業献金を受けていたことが明らかになった[75]。
- 2011年(平成23年)6月16日には、業務上過失致死罪で医師が起訴された品川美容外科グループ創業者の男性から、2008年と2009年、2010年に各100万円の政治献金を受け取っていたことが明らかになった[76]。この問題に対し、野田は「返金を検討したい」と述べた。
- 2011年(平成23年)9月4日には、自らの資金管理団体「未来クラブ」が政治資金規正法で禁じられている個人献金(政治献金)を韓国籍の在日外国人2人から47万円余り受けていたことが新たに判明した[77]。この問題について、献金を行っていた在日本大韓民国民団の船橋支部議長[78]。を務めている船橋市の男性は、「野田さんは私が外国籍であることは知っていたはず」と証言。一方で、日本名で献金を行ったことから「献金者が私だと気づかなかったのかもしれない」ともしている。野田は、「本人も事務所の者も全く知らなかった。専門家を入れて調査を行い、報告する」というコメントを出した[79]。
[編集] 在日本大韓民国民団に選挙協力で謝辞
2011年(平成23年)8月31日に「夕刊フジ」が報じたところによると、第45回衆議院議員総選挙の直後に行われた日韓友好イベント「マダン祭」で在日本大韓民国民団に対し、選挙協力への謝辞を述べていたことが判明した[80]。野田はこの中で、「千葉民団の皆さんの力強いご推挙をいただき、力強いご支援をいただきましたことを、心から御礼申し上げたいと思います」とあいさつした。
[編集] 経団連会長からの接待
2011年(平成23年)9月1日に、2010年(平成22年)10月29日の財務相就任時に、手塚仁雄・民主党総括副幹事長のほか、坂根正弘・日本経団連副会長(小松製作所会長)、丹呉泰健・前財務省事務次官と民間人1名と共に、住友化学の名で、日本経団連の米倉弘昌会長の接待宴に招かれていたことが判明した[81]。この問題について「しんぶん赤旗」は、衆議院が1985年(昭和60年)6月25日に議決した「政治倫理綱領」が指摘する「公私混淆」に相当する疑いがあるとしている。
[編集] 父親の経歴詐称疑惑
2011年(平成23年)9月3日の日刊ゲンダイによると、野田はかねてから「父は(陸上自衛隊の)空挺団員」と明言しており、2005年(平成17年)1月3日の日本経済新聞には「落下傘部隊が降下訓練をしているのをみて育った。その中に父がいた。」との記事が掲載されていた。この経歴について陸上自衛隊OBから疑問の声が上がり、ゲンダイが陸上自衛隊習志野駐屯地に取材したところ「第1空挺団の隊員でなかったことは確かです」 「同じ習志野駐屯地でも野田首相の父親は『業務隊』の所属でした」との回答を得た[82]。
野田の公設第一秘書は日刊ゲンダイの取材に対して、「『もともと空挺団だったけど、足をケガして業務隊に移った』と聞いた」とコメントした[82]。なお、業務隊とは戦闘部隊ではなく、駐屯地の管理業務を行う支援部隊であり、衣類や燃料の確保や隊員の福利厚生を担当する[82]。
[編集] 「1,000円カット」パフォーマンスに対する抗議
組閣翌日の2011年(平成23年)9月4日、財務相当時からの行きつけの10分1,000円のヘアカット専門店QBハウス虎ノ門店で散髪し、「庶民派」首相をアピールしたところ[83]、全国理容生活衛生同業組合連合会から「『デフレ脱却』という首相の政治テーマに反する」[84]、「一国の首相たるものが、一企業(QBハウス運営会社)のPRをする形になるのは如何なものか」といった抗議の声が上がった[85]。
また、当日朝に台風12号が上陸していた状況から、「理髪店に行くより首相官邸の危機管理センターに行くのが先ではないか」(自民党幹事長・石原伸晃)との批判も出た[84]。
[編集] マニフェスト順守の必要性を訴える映像
2012年(平成24年)1月、野党時代の2009年(平成21年)衆院選での街頭演説で、当時民主党幹事長代理だった野田が、自公政権がマニフェストに明記していなかった後期高齢者医療制度を発足させたことを挙げて「マニフェストに書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」と力説する映像[86]がユーチューブでながれ話題となったが、首相となった野田は、消費増税の与野党協議に応じない野党側の姿勢を批判して「マニフェストに書いていないことをやるのはけしからんと言われたら、何もできない」と発言していたため、みんなの党代表の渡辺喜美や自民党参院議員の片山さつきから整合性がないと非難された[87][88][89][90][91][92]。
[編集] 「18歳からタバコ」発言
2012年(平成24年)3月9日、政府の癌対策に絡み、公明党の松あきらが愛煙家の野田に「率先垂範して禁煙宣言してはどうか」と迫った。これに対し「いや、参りましたね。喫煙率が下がっていくことは望ましいと思いますが、 私、18歳からずっとやめたことなく貫いてきてしまいました。受動喫煙には気を付けたい」と発言。場内がざわめき、「喫煙は法律で20歳から」という周囲のささやきで問題発言をしたことに気付いた野田は、「あ、すみません、20歳からです」とあわてて訂正した。松は「ここは目をつぶるから、しっかりやって」と決断を促した[93]。
[編集] 影響
大修館書店が全国の中高生から国語辞典に載せたい言葉を募集する「第6回『もっと明鏡』大賞 みんなで作ろう国語辞典!」で、事務局オススメ傑作選に「野田る」という言葉が選ばれた[94]。「泥臭く頑張る」「上手にスピーチする」の意という。
[編集] 家族・親族
[編集] 系譜
父は富山県婦負郡野積村(現在の富山市八尾町水口[97])の出身[2]。農家の6人兄弟の末っ子として生まれた[2]。自衛隊の前身である警察予備隊に入隊し、定年で退官するまで自衛官としての人生を歩んだ[2]。習志野駐屯地勤務の折に、母と出会い、結婚[2]。母は千葉県の農家の11人兄弟の末っ子だった[2][3]。貧乏で結婚式も挙げなかった[98]
野田によると「農家の末っ子同士の間に生まれた子どもが、私です。選挙区が都市部なのにシティーボーイに見えないのは、そのせいかも知れません[35]」という。
妻 ┏男 ┣━━━┫ 父 ┏野田佳彦 ┗男 ┣━━┫ 母 ┗野田剛彦
[編集] 著書
- 『民主の敵 政権交代に大義あり』 新潮社〈新潮新書〉、2009年7月17日。ISBN 978-4-10-610323-0。 - 立ち読み
[編集] 脚注
- ^ 「日本の次期首相・野田氏は軍人一家出身で強硬派」=中国報道(サーチナ) - エキサイトニュース
- ^ a b c d e f g h i j 3歳半のときから「政治」を意識した - ワークスタイル - nikkei BPnet
- ^ a b c 民主代表選:野田新代表「ドジョウの政治をやり抜く」 - 毎日jp(毎日新聞)
- ^ a b c d e f g h i 日本経済新聞. (2011年8月30日)
- ^ a b 黒田高史; 大森祐香; 野崎達也 (2011年9月2日). “「時代に選ばれ」飛躍 : 誕生 野田首相 : 企画・連載 : 千葉 : 地域”. YOMIURI ONLINE (読売新聞) 2012年2月19日閲覧。
- ^ “民主党代表選:野田代表、出発は裸一貫 ガス点検員を経験/駅前で演説24年…”. 毎日新聞 (2011年8月30日). 2011年8月30日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 小林篤市 (1987年4月29日). “松下政経塾 地方政界に新風 地盤、看板、金なし 辻説法で9人当選(解説)”. 読売新聞
- ^ 山元一郎 (2011年9月18日). “野田首相の助言受け大津さん、防犯活動「素志貫徹」 ボランティア組織作り/神奈川県”. 朝日新聞
- ^ 終局: まぶちすみおの「不易塾」日記2006年3月8日
- ^ “民主の「宇宙庁」構想に異論も 基本法案骨子を示す 関係省庁「行革に逆行」”. 読売新聞. (2007年12月27日)
- ^ “[スキャナー]宇宙政策を大転換 基本法成立受け 国家戦略や宇宙局に課題”. 読売新聞. (2008年5月22日)
- ^ “国土審議会(総会)・名簿”. 国土交通省. 2012年1月28日閲覧。
- ^ “国土審議会(総会)・名簿”. 国土交通省. 2012年1月28日閲覧。
- ^ “民主代表戦 野田氏出馬断念の背景 小沢氏 3選確実”. 産経新聞 大阪本社版. (2008年8月23日)
- ^ “政界- 安住・民主国対委員長代理「野田氏は自省を」”. 毎日新聞. (2008年8月22日)
- ^ 産経ニュース2011年7月24日
- ^ “「菅財務相」は小沢氏との距離が決め手 (1/2ページ)”. 産経新聞. (2010年1月6日) 2010年4月19日閲覧。
- ^ “「菅財務相」は小沢氏との距離が決め手 (2/2ページ)”. 産経新聞. (2010年1月6日) 2010年4月19日閲覧。
- ^ 重大な関心もって市場動向を注視=円高で野田財務相 ロイター 2010年8月20日
- ^ 必要な時には断固たる措置とる=円高で野田財務相 ロイター 2010年9月8日
- ^ 政府・日銀、6年半ぶり為替介入 15年ぶり円高水準で asahi.com 2010年9月15日
- ^ 日本の為替介入理由「自らG7各国に説明」 野田財務相 asahi.com 2010年10月9日
- ^ G7「通貨安競争」回避で協調 円高介入批判出ず exciteニュース 2010年10月9日
- ^ 野田財務相の会見での全発言 G7電話会談 2011年8月8日
- ^ 時事ドットコム2011年6月9日
- ^ 毎日.jp2011年8月9日
- ^ asahi.com2011年6月10日
- ^ asahi.com2011年8月23日
- ^ ロイター2011年8月26日
- ^ “次期首相、適任者は「前原氏」40% 朝日新聞世論調査”. 朝日新聞社. (2011年8月26日) 2011年8月30日閲覧。
- ^ NHK2011年8月26日
- ^ NHK2011年8月27日
- ^ 日テレNEWS242011年8月29日
- ^ asahi.com2011年8月29日
- ^ a b 野田新代表の「演説力」はピカ一 ジョーク交え「夢、志、人情」訴える (1/2) : J-CASTニュース
- ^ “野田内閣- ドジョウ内閣「本気でやってごらん」 “ゆかりの地”に活気”. 毎日新聞. (2011年9月2日)
- ^ 2011年8月30日の毎日新聞(東京本社版)より。
- ^ 野田氏を首相指名 産経新聞 2011年8月30日閲覧
- ^ 野田内閣がスタート、主要閣僚に40代を起用 AFP BB News 2011年9月2日閲覧
- ^ a b “3次補正総額12兆円 基本方針閣議決定 震災関係は9兆円”. 東京新聞. (2011年10月8日)
- ^ 清湖口敏 (2011年10月17日). “【社説検証】復興増税”. 産経新聞
- ^ 基太村真司、竹本能文、石田仁志、田中志保 (2011年10月19日). “WRAPUP1: 日韓、通貨スワップ限度額を700億ドルに拡充 市場の不安定化に備え”. ロイター
- ^ a b “日韓首脳会談- EPA交渉再開へ加速 野田首相、図書5冊引き渡し”. 毎日新聞. (2011年10月19日)
- ^ “日韓為替安定策—Q&A 外貨不足時にドル融通”. 信濃毎日新聞. (2011年10月20日)
- ^ “日韓首脳会談 EPA交渉再開 協議加速 「儀軌」一部引き渡し”. 読売新聞. (2011年10月19日)
- ^ “社説 〔日韓首脳会談〕 対韓配慮が過ぎるのでは”. 北國新聞. (2011年10月20日)
- ^ 及川源十郎 (2011年10月20日). “日韓の通貨スワップ拡大で、ネット上で民主党へ反発の声”. サーチナ. 2011年10月21日閲覧。
- ^ a b “タイ洪水- 野田首相「支援、早急に」 震災時の恩義に報い”. 毎日新聞. (2011年10月22日)
- ^ “日本再生の基本戦略 復興やインフラ海外展開 名目3%成長目指す”. 産経新聞 (2011年12月22日). 2012年1月2日閲覧。
- ^ “12年度財投計画は前年比18%増の17.6兆円=政府”. ロイター (2011年12月24日). 2012年1月2日閲覧。
- ^ “首相、成立へ修正辞さず 消費増税法案を国会提出”. 日本経済新聞 (2012年3月30日). 2012年4月6日閲覧。
- ^ “消費増税の経済への影響ないよう策講じる必要=野田首相”. ロイター (2012年3月16日). 2012年4月8日閲覧。
- ^ “増税で「日本経済が肺炎に」 野田首相の過去の発言にまた「ブーメラン現象」?”. J-CASTニュース (2012年3月15日). 2012年4月6日閲覧。
- ^ 「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書
- ^ “野田財務副大臣「選挙権ほしいなら帰化すればいい」”. asahi.com(朝日新聞). (2010年1月30日) 2010年2月4日閲覧。
- ^ “興増税、来年度実施=諮問会議の復活検討-野田財務相”. jiji.com(時事通信). (2011年8月14日) 2011年8月17日閲覧。
- ^ 植草一秀『消費増税亡国論』
- ^ “野田氏「101回でもプロポーズ」 自公と大連立、重ねて意欲”. 東京新聞. (2011年8月19日) 2011年8月19日閲覧。
- ^ “野田首相「TPP進めないといけない」 経団連会長に”. 朝日新聞社. (2011年9月12日) 2011年9月15日閲覧。
- ^ a b 江畑佳明; 根本太一 (2011年8月18日). “特集ワイド:「ポスト菅」一体誰が… 一長一短で本命不在”. 毎日新聞
- ^ “松下塾出身 初の首相”. 読売新聞. (2011年8月29日)
- ^ 蔭西晴子 (2011年10月16日). “野田首相、政策ころころ 低姿勢、閣僚の意見丸のみ 「そうかそうかと聴いてくれる」”. 朝日新聞
- ^ “基礎からわかる 野田佳彦 つじ立ち糧に 宰相へ=特集”. 毎日新聞. (2011年8月30日)
- ^ “野田首相の資産、歴代最少 内閣平均は菅内閣上回る”. 朝日新聞 (2011年10月14日). 2012年2月8日閲覧。
- ^ “野田首相の資産、歴代最安値 自宅など1774万円”. 産経新聞 (2011年10月14日). 2012年2月8日閲覧。
- ^ “首相資産、歴代最少1774万円=野田内閣平均は5067万円―資産公開”. ウォールストリートジャーナル (2011年10月14日). 2012年2月8日閲覧。
- ^ “【民主党代表選】野田・新民主党代表はこんな人”. 47NEWS (2011年8月29日). 2011年8月29日閲覧。
- ^ 明楽麻子 (2011年2月26日). “(国会論戦 ここに注目しました)愛煙家・禁煙派、増税は別”. 朝日新聞
- ^ “たばこ・酒増税は「オヤジ狩り」 復興財源めぐり政府内バトル”. J-CAST. 2012年1月28日閲覧。
- ^ “衆議院議事録”. 衆議院 (2005年1月25日). 2012年1月28日閲覧。
- ^ 野田財務相、脱税関係企業のパーティー券購入80万円「速やかに返還する」 MSN産経ニュース2011年3月4日
- ^ 脱税会社がパーティー券購入みんなの党の渡辺代表 北海道新聞2011年3月4日
- ^ 第177回国会 予算委員会平成23年6月3日(金)第18回 参議院HP
- ^ 野田財務相の団体、政治資金からスナック代22万円払う 朝日新聞社 2011年1月20日
- ^ 脱税疑いの会社、野田財務相に献金 TBSNews-i2011年6月11日
- ^ 野田財務相:品川美容外科創業者から献金返金を検討 毎日新聞2011年6月16日
- ^ 野田首相、在日韓国人2人から31万円献金 読売新聞2011年9月4日
- ^ “外国人献金者は「民団役員」 野田首相”. 産経新聞. (2011年11月15日) 2011年11月15日閲覧。
- ^ “首相の“外国人献金”調査へ”. NHK. (2011年9月4日) 2011年9月4日閲覧。
- ^ “あらら〜野田氏も怪しいの?民団に選挙協力で謝辞”. 夕刊フジ. (2011年8月31日) 2011年9月2日閲覧。
- ^ “野田新首相 財務相当時の昨年10月経団連会長から接待税制論議のさなか”. しんぶん赤旗. (2011年9月2日) 2011年9月2日閲覧。
- ^ a b c 「父親は陸自最精鋭部隊」は真っ赤なウソ!? - ゲンダイネット 2011年9月3日
- ^ “ファイル- 野田首相「1000円カット」”. 毎日新聞. (2011年9月4日)
- ^ a b “首相散髪、今度は4500円”. 産経新聞. (2011年11月8日) 2012年5月5日閲覧。
- ^ “野田首相「1000円散髪」やめた? 「4515円店へ変更」の裏事情”. ジェイ・キャスト. (2011年11月8日) 2011年11月11日閲覧。
- ^ “野田総理 マニフェスト 書いてあることは命懸けで実行”. YouTube (2012年1月7日). 2012年2月19日閲覧。
- ^ “ファイル-「公約順守」の映像を紹介”. 毎日新聞. (2012年1月18日)
- ^ “演説が聞いてあきれる/地獄耳”. 日刊スポーツ. (2012年1月19日). オリジナルの2012年1月19日時点によるアーカイブ。 2012年1月19日閲覧。
- ^ “首相に不都合な動画 「マニフェストにないことやらない」 ユーチューブに09年演説”. 朝日新聞. (2012年1月20日)
- ^ “<朝刊チェック>つじつま合わぬ?野田総理・過去の演説で真逆発言”. TVエキスプレスサーチ-東京版. (2012年1月20日)
- ^ “野田首相の昔の演説が「発覚」 「公約に書いてないことやらない。これがルールです」”. J-CAST (2012年1月20日). 2012年1月22日閲覧。
- ^ 安積明子 (2012年1月20日). “民主“ペテン師”政権で国民地獄!片山さつき議員が怒!”. ZAKZAK. 2012年1月22日閲覧。
- ^ “首相、たばこ「18歳からやめていない」 あわてて訂正”. 朝日新聞. (2012年3月9日) 2012年3月9日閲覧。
- ^ “第6回「もっと明鏡」大賞みんなで作ろう国語辞典!結果発表 (PDF)”. 大修館書店 (2011年12月12日). 2012年2月8日閲覧。
- ^ a b c d 衆議院議員 野田よしひこ プロフィール
- ^ 船橋市議会議員・野田たけひこ
- ^ 野田氏の富山市のいとこ勇さんもエール : 富山 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ 意外や野田佳彦の演説のうまさ「どぜうでさりげなく自慢話」 : J-CASTテレビウォッチ
[編集] 参考文献
- 橘民義編著 『民主党10年史』 第一書林、2008年7月。ISBN 978-4-88646-196-4。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 衆議院議員 野田よしひこ(公式サイト)
- 野田佳彦 公式ブログ
- 民主党千葉県総支部連合会
- 松下政経塾
- 千葉政経塾
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 菅直人 |
第95代:2011年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 菅直人 |
第14代:2010年 - 2011年 |
次代: 安住淳 |
| 先代: 竹下亘・石田真敏 |
2009年 - 2010年 峰崎直樹と共同 |
次代: 池田元久・峰崎直樹 |
| 議会 | ||
| 先代: 池田元久 |
2009年 |
次代: 河村建夫 |
| 党職 | ||
| 先代: 菅直人 |
民主党代表 第9代:2011年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 佐藤敬夫 鉢呂吉雄 |
民主党国会対策委員長 第7代:2002年 - 2004年 第10代:2005年 - 2006年 |
次代: 川端達夫 渡部恒三 |
| 先代: 結成 |
志士の会会長 初代:2002年 - 2006年 |
次代: 改称 |
| 先代: 改称 |
花斉会会長 初代:2006年 - |
次代: 現職 |
| その他の役職 | ||
| 先代: 菅直人 |
政府税制調査会会長 第10代:2010年 - 2011年 |
次代: 安住淳 |
| 歴代内閣総理大臣 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第94代 菅直人 |
第95代 2011年 - |
- - |
||||||
|
|||||
|
|||||
|
||||||||||||||
|
||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||